児童ポルノ問題は、情報管理の問題として考えるべきだと私は考えています。
児童ポルノは、被撮影児童にとっては不利益な情報です。児童ポルノをインターネット上に発信することは、児童にとっての不利益な情報をネット上で公開することになります。このことが、児童の権利侵害に当たると思われます。
ですから、児童の権利の侵害の責任を負わなければならないのは、児童ポルノという情報の発信者でなければなりません。ところが、児童ポルノの単純所持が処罰化されれば、本来責任を負うべき発信者だけでなく、責任を負わなくてもいい受信者までもが責任を取らされることになるのです。
インターネットが発達するまでは、情報の受信者と発信者は、明確に区別されていました。
情報の発信者は出版社・放送会社といったマスコミに限られ、個人は読者や視聴者として、情報を受信することしか出来ませんでした。
個人が情報を発信するにしても、マスコミへの投書や個人間の口コミ・自費出版といった方法しかなく、その発信できる範囲もマスコミに比べると極めて小さいものでありました。そのため、個人が情報発信の責任について考える必要もありませんでした。
しかし、インターネットが発達したことによって、受信者と発信者の関係が一変しました。個人であっても、全世界にむけて簡単に発信できるようになりました。情報の一方的な受信者でしかなかった個人が、発信者となることが可能になったのです。
発信者となる以上、個人であっても、当然発信者としての責任を負わなければなりません。受信者としての責任だけでなく、発信者としての責任までもが、個人に対して課せられるようになりました。同一の個人でありながら、受信と発信という情報に関する両方の責任を有することになったのです。
ところが、両方の責任が帰属するのが同一の個人であることから、その両者の責任の境界があいまいになり、受信と発信の責任を混同して考える人も出てくるようになってしまいました。
それが、児童ポルノの単純所持者の処罰化という、発信者が負うべき児童ポルノ発信の責任を、情報の受信者にまで負わせようとする考え方につながっていったのだと思います。
しかし、同一の個人であっても、情報管理の責任は、受信時と発信時に分けて考えるべきです。発信者としての責任は、個人が情報を発信した時に初めて発生するのです。
そして、情報の受信者のすべてが、発信者になるとは限りません。
受信者が発信者となるには、情報を発信する明確な意思を必要とします。情報発信を行うためには、発信する情報を選択し、発信先を選択し、発信方法を選択しなければならないからです。
情報の受信の責任と発信の責任は、明らかに別の問題として考えなければならないのです。
しかし、児童ポルノ禁止法改正における単純所持の処罰化は、情報の発信者の責任を受信者に負わせることになり、情報発信の問題と情報受信の問題を混同しています。
児童ポルノの単純所持の処罰化は、誤った考え方に基づいていると言わざるをえません。
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